<日帰りドライブ>
(尾道〜呉〜広島編)
H18.3.26
今回は日帰りで広島県へ行ってきました。
何故広島県へ行くのかと言うと・・・
1、映画「男たちの大和」で使われたロケセットを見る
2、呉の「大和ミュージアム」で1/10の戦艦大和を見る
3、広島市内でお好み焼きを食べる
4、原爆ドームを見学する
これらの目的を1日で達成しようという計画を
前日の夕方に思いつき、それを実行してみました。
(もうちょっと事前に計画した方が良かったかなぁ〜)
第一章 〜映画「男たちの大和」で使われたロケセットを見る〜
| 戦艦大和のロケセットは、尾道市向島の「日立造船向島 西工場」の中に作ってあります。この向島は瀬戸内海に 浮かぶ島ですので本土からだと、渡船を使うか瀬戸内し まなみ海道を使わないといけません。瀬戸内しまなみ海 道を使うルートだと、大和の近くまで車で行けますが渋滞 がすごいので、僕達は本土に車を停めて渡船で渡る事に しました。 |
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| 渡船は、短いサイクルで往復運行していますので、待ち 時間も殆ど無く乗る事が出来ます。渡船に乗ると対岸に ロケセットが見えてきます。 |
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| 段々と対岸の向島へ近づいていきます。 | |
| おおっ。見えました!戦艦大和の第二主砲塔と第一副 砲です。戦艦大和はもうすぐそこに! 何だか((o(^-^)o))ワクワクしました。 |
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| 渡船を降りたら歩いて造船所の入り口まで進みます。 造船所の入り口から大和がある場所までは、無料の シャトルバスが運行されていますので、これに乗って 移動します。造船所って広いから、入り口から大和の 場所まで500mくらいあるので歩くと大変です。バスを 降りたら、大和に乗艦する人たちの長〜い列が出来て いました。想像以上に大盛況です。 |
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| 戦艦大和のそばには、ロケの為に作られたものが いくつか置いてありました。セットが壊れた時の為の 予備品でしょうか? |
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| 長蛇の列を進んでいくと、やがて艦首の旗竿が見えて きました。旭日旗が掲揚されています。 |
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| 長〜い長蛇の列を進むこと、早40分。ようやく艦首部分 に到着です。菊の御紋章が印象に残りました。直径1m くらいはあると思います。 |
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| 艦首部分を見た後は、早速戦艦大和に乗艦します。 乗艦前に入場料を支払って、いざ大和の最上甲板へ。 ちなみに、艦首部分だけを見るなら無料です。 でもここまで来て艦首だけ見て乗艦しないなんて そんな事はしません。 |
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| 第二主砲塔の左舷付近から乗艦するので、まず目に 入るのはこの第二主砲塔です。18インチ46センチ 主砲が僕達を迎えてくれました。 |
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| 続いて、第二主砲塔付近から第一副砲ならびに艦橋 基部付近の写真です。やっぱり艦橋が無いとなんだか 変ですね・・・。 せっかくなら艦橋上部まで作って欲しかったなぁ〜。 |
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| 映画の中でよく目にする、25ミリ三連装機銃です。 もっと近くで見たかったのですがロープが張ってて これ以上は近づけませんでした。 |
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| 46センチ主砲と25ミリ三連装機銃。迫力があります。 | |
| 続いて第一主砲塔からの写真です。ご覧のように世界 最大の46センチ主砲砲身は、第二主砲砲身のみ復元 されていて第一主砲砲身は復元されていません。 艦橋上部も復元されていませんので、映画ではCGを 使って完全復元したようです。 |
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| 第一副砲(15.5センチ)です。副砲でも写真に収まり きれないくらい大きいです。ちなみに戦艦大和の副砲は 竣工時には4基(前・後・左舷・右舷に)ありましたが 対空兵装強化のため両舷の副砲は後に撤去され ています。 ちなみに撤去された副砲は、重巡洋艦最上の主砲に 使われました。 |
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| 25ミリ三連装機銃の後部からの写真です。 | |
| 映画では、反町隆*と中村獅*が左右にそれぞれ 座って機銃座を旋回させたり弾を発射したりしました。 写真のハンドルを回すと機銃座が旋回するそうです。 |
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| 写真中央の少し右に写っているレバーを回すと機銃の 角度調整が出来るそうです。実際に操作してみたかった のですが、それは無理でした。 |
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| 先ほどの25ミリ三連装機銃と同じですが、こちらは シールドが被っています。これは言うまでも無く敵機の 機銃弾を避ける為にあります。爆撃を受けるシーンで 使われたので、少し変形していますね。 |
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| こちらは、12.7センチ連装高角砲です。 余談ですが、戦艦大和が沖縄へ出撃して撃沈された 昭和20年4月7日の天候は、雲が低く小雨が降っていた そうです。ちょうどこの日の天候とほぼ同じでした。 対空戦闘を行うにあたって、この天候は大和にとっては 不利でした。何故かというと、雲が低い=視界が狭いことに なるため、敵機が雲に隠れて接近してくるので、照準を 合わせる事が難しくなります。逆に言えば敵機は狙われずに 接近しやすいのです。 このような天候では18インチ主砲の威力を十分発揮する 事が難しかったようです。また、大和には少年兵と呼ばれる 16歳くらいの若者(子供)が戦闘員として乗艦していたので 十分な戦闘技術も体力も経験も無かったと思われます。 |
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| こちらも12.7センチ連装高角砲です。こちらの高角砲は 敵機の機銃から身を守る為のシールドが被っています。 よ〜く見ると、木の枠が見えていますね。(^▽^;) |
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| ロケ後なので、あちこちに爆撃シーンを撮影した時に開いた 穴が見られます。本当の戦艦大和も、きっとこれ以上に穴が 空いたんでしょう。穴だらけになってボコボコにされた大和。 何だかかわいそうです。 |
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| 一通り見学したので、名残惜しいですが 戦艦大和ともお別れです。 |
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| 戦艦大和の出口付近から撮影しました。こうやって見ると 本当に大きな戦艦だな〜と思いました。 大和マニアの方ならわかると思いますが、側舷のシールドが 被っている25ミリ三連装機銃座の数が、本物の大和は5つ あるのに、このセットでは4つしか無いですね。 (後ほど出てくる呉の大和では、5つ配置されてます) |
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| ちなみに、ロケセットの裏側はこんな感じでした。 | |
| 行きがけに乗ってきた渡船に乗って帰ります。渡船を 降りるとこんな自販機がありました。おそらくこの付近 限定の自販機でしょう。カンとペットボトルを入れる 部分が、主砲の穴のように見えますね。 |
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なおこの戦艦大和は、2006年5月7日で公開終了です。その後は解体されるそうです。 何だか勿体無い気がします。これを残して完全復元させて観光名所の一つに出来ないものかな〜? |
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第二章〜呉の「大和ミュージアム」で1/10の戦艦大和を見る〜
| 続いて、呉市にある「大和ミュージアム」を見学します。 ここには1/10の戦艦大和が再現されています。 |
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| 入場料を払って早速入館すると、そこには1/10の 戦艦大和が展示してありました。 |
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| 1/10でも迫力はあります。本物の10分の1ですから 全長は26.3m、幅は3.9mもあるんです。25mのプールの 縦方向に入らない大きさだと考えたら、どれくらい大きいか 想像出来ると思います。 |
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| 25ミリ三連装機銃や12.7センチ連装高角砲、独特の 傾斜を持つ煙突や三角マスト、艦橋や探照灯など 細部にわたって復元されています。 ちなみにこちらの大和では、側舷の機銃座が5つ 配置されてます。 |
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| 戦艦大和は写真のように台座の上に展示してあります。 ちなみにこの台座は、本物の戦艦大和が作られたドックの 底にあったものを使用してます。つまり、昔は本物の戦艦 大和が載って、今は1/10の戦艦大和が載っている訳です。 |
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| 大和後方からの写真です。後部に見える三角の鉄塔は クレーンで左右に見える長い鉄骨はカタパルトです。 これらは何のために使用するのかと言うと、まずカタパルト で水上偵察機を発射して、索敵を行ったり、砲撃戦の際に 敵艦隊への着弾状況を報告したりします。 その後任務を終えた偵察機を艦へ収容する際に、この クレーンを使って水上偵察機を吊り上げて収容する という訳です。 |
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| 戦艦大和の顔とも言える艦橋上部の写真です。尾道に ある1/1の大和は、この艦橋部分がありませんでした。 ちなみに、艦橋最上部の左右にある網みたいなものは 21号電探と言って、今で言うレーダーです。 これで接近してくる敵機を探したりしていました。 |
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| 戦艦大和の前方からの写真です。見学している方と 比較するとその大きさがわかるかと思います。 |
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| 続いて第二主砲塔、第一副砲、艦橋部分の写真です。 何だか山みたいに見えますね。 |
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| こちらは第一主砲塔からの写真です。高低差がある 主砲と副砲、大きな艦橋、そこから後部への艦影、 戦艦大和は美しい軍艦だと思います。 |
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| 今から60年以上も前に、こんな軍艦を日本人が 作っていたとは驚きです。なお当時46センチ主砲を 搭載した戦艦は外国には存在しませんでした。 現在でも46センチ主砲を搭載した戦艦は存在して いません。 |
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| 続いて、第一主砲塔、第二主砲塔、第一副砲、 艦橋部分の写真です。 |
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| こちらは前部の写真です。 甲板が、緩やかな坂になっています。 |
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| 続いて中部の写真です。ちなみに三角マストの 後ろにあるのは後部指揮所です。大和には指揮所が 二つあって、一つは艦橋上部。もう一つは後部に ありました。ちなみに指揮所というのは、敵機や 敵艦に対して攻撃を行う際に指揮をする場所の 事を言います。 |
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| こちらは、後部の写真です。第二副砲や第三 主砲塔、カタパルトやクレーンなどがみえます。 |
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| 続いて、戦艦大和を上部から見た写真です。 艦の中央部に機銃が集中して配置されています。 逆に主砲の周りには機銃が配置されていません。 これは、主砲が射撃した際に発生する衝撃波が 強いので機銃が配置されていないんです。 |
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| こちらは、戦艦大和のほぼ正面からの写真です。 逆光だったため影絵みたいになって見えにくいと 思いますが、それはそれで絵になると勝手に 納得してます・・・^^; |
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| 続いて、正面からの写真です。正面から見ると スマートな形ですね。 |
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| こちらは、艦中央部を上から撮影した写真です。 何だかハリネズミのように機銃が配置されています。 |
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| 続いて、上部から艦を撮影した写真です。上から 見ると何だかゾウリムシみたいに見えます(x_x) ☆\(^^;) ぽかっ。 |
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| こちらは、船底にあるスクリューと舵の写真です。 戦艦大和のスクリューは、3枚羽だったんですね〜。 |
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| 戦艦大和に関する資料が展示してあるところに このような文章が展示してありました。これは沖縄へ 出撃する前夜に臼淵馨大尉が言った言葉で 次のように書いてありました。 進歩のない者は 決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか この言葉は、すごくいい言葉だと思いましたし 胸にじ〜んと来ました。 |
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| こちらは、零戦の写真です。この大和ミュージアム には、戦艦大和の他に零戦や潜水艦、酸素魚雷や 主砲弾、さらに船に関する様々な資料が展示保管 されています。 |
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| こちらは潜水艇です。名前は忘れてしまいましたが この潜水艇は人間がそのまま操縦して敵艦に体当たり するものだったと思います。これに乗って亡くなった方は 一体どんな気持ちでこれに乗り、敵艦に体当たりして いったのかを思うと、とても辛いです。 |
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| こちらは大和ミュージアムの外にある、かつて世界の ビッグ7と言われた戦艦陸奥の旗竿です。 なおこれは本物です。 |
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| こちらは戦艦陸奥の主錨です。 | |
| 続いて、戦艦陸奥の40センチ主砲砲身です。 | |
| こちらは、戦艦陸奥のスクリューです。 | |
| 続いて、戦艦陸奥の舵です。何故戦艦陸奥のものが こんなにたくさん展示してあるかと言うと、戦艦陸奥は 昭和18年6月8日の昼頃、現在の山口県岩国市の柱島 泊地で繋留中に、突然第三砲塔付近から白煙が吹き 上がり、その後火薬庫が大爆発し、艦体は真っ二つに なって海中に沈みました。その後、昭和45年7月に 戦艦陸奥の一部を海底から引き揚げました。それが これらの品々です。なお、爆発の原因は今でも不明で 戦艦陸奥の爆沈に関しては、いろんな説があるようです。 |
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| こちらは、外にある戦艦大和の時鐘(じしょう)です。 本物かどうか不明でしたが、実際に鐘を鳴らす事が 出来ます。試しに鳴らしてみましたが、思いっきり 鳴らすと耳がキーン(×_×)となるので手加減して 鳴らしましょう。 あの鐘を〜♪鳴らすのは、あな〜た〜♪です(^▽^;) |
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| 時鐘(じしょう)について以下のような解説文がありました。 時鐘=タイムベル 時鐘は、その艦が就役している間、昼夜を問わず 30分ごとに当直の時鐘番兵(じしょうばんぺい)が 鐘を鳴らして艦内に時刻を告げるものでその艦の シンボルともいえるものでした。鐘を鳴らす回数は 0:30の1点鐘に始まり、1:00は2点鐘、1:30は3点 鐘と続き、8点鐘で1巡します。2巡めは4:30の1点 鐘に始まり、1日で5巡します。鐘の打ち方にも独特の 流儀があり、1点鐘の「カン」以外は、2連区切りという のがならわしでした。例えば、3点鐘は「カンカン、カン」 4点鐘は「カンカン、カンカン」と打ちます。 また時鐘とは関係ないですが、海軍では毎週金曜日の 食事はカレーが出ていたそうです。これは、ずっと海の 上にいると曜日感覚が無くなるので、毎週金曜日に カレーを出して、カレーが出たら金曜日だと解るように していたそうです。 |
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| 続いて、戦艦大和の主錨です。 これも本物かどうか不明でした。 |
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| こちらは戦艦大和が誕生した呉の様子です。 | |
| 戦艦大和は、このドッグで建造されました。 今でもそのドッグはこうして残っています。 |
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| 戦艦大和は軍の最高機密でしたので、その姿を 隠す為に大きな屋根が設けられました。その屋根が こちらの屋根です。今でも残っているので一度 見学されてはいかがですか? |
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| 戦艦大和で亡くなった多くの方々がもたらした 平和な呉の港には、今日も夕日が輝いていました。 大和乗組員だけじゃなく、戦争で犠牲になった 方々がいらっしゃるからこそ、今の平和な日本が あると、私は考えます。 |
第三章〜広島市内でお好み焼きを食べる〜
| 尾道と呉に行って帰る頃には、日も落ちてすっかり 夜になってしまいました。「せっかく広島へ来たんだから 広島名物のお好み焼きを食べて帰ろう」という事に なりました。 今回のドライブは、短期間で計画した行き当たり ばったりのドライブなので、何処のお店のお好み焼きが 美味しいか事前調査をしていませんでした。 そこで那比の力を借りて検索したところ、一件の お好み焼き屋さんがHITしましたので、早速行って みました。お店の名前は「お好み焼き れすとらん 大名」 という名前です。場所は広島駅の近くだったと思い ますが、詳細な場所は全く解りません^^; |
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| ここで注文したのが、スペシャルというお好み焼き。 これがとても美味しかったです。オススメですので 是非一度ご賞味下さい。 ちなみに私は、このお店の諜(まわしもの)では ありませんよ〜。 |
第四章〜原爆ドームを見学する〜
| 広島といえば、忘れてならないのが原爆の事です。 昭和20年8月6日に人類史上初となる原子爆弾が 広島市に投下されました。 原子爆弾は、たくさんの尊い命を奪い、建物や 風景を一瞬にして廃墟にしました。 その原爆が投下された爆心地に建っていたのが 原爆ドーム(広島県産業奨励会館)です。 |
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| 今まではテレビや教科書で原爆ドームは見た事が ありましたが、こうして近くで見るのは初めてでした。 建物をよく見ると、原爆で折れ曲がった鉄筋や崩れた ブロックなどが、当時のそのままの状態で残っています。 |
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| 原爆ドームは、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いの シンボルとして世界遺産に登録されました。 |
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| 今後原爆ドームは、2045年まではそのまま残すようです。 その後は屋根を被せたり、他の場所へ移設する事も検討 されているようです。 |
今回は、短期間で計画した行き当たりばったりのドライブでしたので
宮島の厳島神社へ行けませんでした。いつかもう一度計画を
練り直して来てみようと思います。
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