航空競技会のドーピング検査の現状

20047 嶋田 和人

国際航空連盟・医事委員会 - 副委員長・日本委員

(FAI CIMP / Vice President & Japanese Delegate)

 

1. はじめに

 本年はアテネオリンピックの年であり、一般新聞紙上でもスポーツ欄には毎週のようにドーピングの疑いや裁定について掲載されています。また後に述べますが、ツール・ド・フランス(自転車競技)で米国のランス・アームストロングの六連覇の期待についても常に「合法ドーピング」の文脈で語られるのが宿命のようです。今まではオリンピック出場選手以外の方はいわゆる「ドーピング検査」を身近に感じられたことはないでしょう。しかしドーピングをめぐる状況は急速に変化しつつあり、日本政府の支出も億単位で行なわれるようになっています。

以下、航空スポーツ(国内ではスカイスポーツと呼ぶことも多いですが、FAIではAir Sportsと呼んでいます)関係者を読者と想定して現状をまとめました。国際競技会に参加する方とその所属団体の役員の方の参考となれば幸いです。

2. WADAとは何か

 FAI競技もスポーツに関するドーピング規制の例外ではありません。FAIスポーティング・コードでは従来もドーピング対策としてIOC(国際オリンピック委員会、International Olympic Committee)の禁止薬物リストにあるものの使用を禁止していました。しかし以前はドーピング検査は陸上競技の一部を除き、さして厳格には運用されていませんでしたので身近に感じられた方はいないと思います。しかし各種薬剤の濫用が広まってきたのを受けてヨーロッパ各国ではスポーツ競技における禁止薬物の使用について法規制が整備されてきており、例えばイタリアではドーピング検査で引っかかると刑事罰の対象になるとのことです。逆にドーピング検査に要する組織・経費についてはヨーロッパ各国政府が支出するものとなるので整備が進んでいます。例えば最近の滑空機世界選手権ではドイツ、ポーランドの大会でドーピング検査が実施されています。我が国だけでなくスポーツ大国である米国も含めヨーロッパ外の国々では法制化は行われておりませんので当然国家間での温度差があることになります。

 さて、ドーピング検査(anti-doping testと呼ばれることが多い)の世界的管轄団体ですが、(実質)昨年から統括組織がIOCの一部門からWADA(World Anti Doping Agency www.wada-ama.org)という組織に変わりました。2003年にはドーピングに関する大会が開催され日本も参加し、ドーピング防止を謳った「コペンハーゲン宣言」にも署名しています。この動きの背景には諸種団体の利権も関係しており、アジアの事務所として2004年のWADA東京事務所開設に動いた日本政府も当事者の一です。WADAの役員については利己的に組織を利用しているとの批判もありますので動向に注意する必要があるでしょう。オリンピックの資金と各国政府の拠出金でWADAは運営されていますが、米国が2003年に80万ドル、ドイツが60万ドルなどという実績であるなか日本政府は飛びぬけて最大の150万ドルを拠出しています。ただしヨーロッパと異なり日本では各スポーツ団体が実際に行うドーピング検査の予算を政府が組んでいませんので我々はFAI競技会のために自分で資金を調達しなければなりません。

 WADAWADAアンチ・ドーピング・コードという規定を作成し、禁止薬物リストを維持改定してホームページ上に公開しています。2004年アテネオリンピックを目処に世界のスポーツ競技団体にこのコードを受け入れさせるのがWADAの目標です。FAI2003年の10月の総会でこの規定をスポーティングコードに取り入れることを採択しました。まずFAIでは既に受給を受けているオリンピック関連の資金補助の要件を満たすためにWADAコードを取り入れざるを得ないという検討がありました。2002年のFAI医事委員会でこの案件が討議され、医学的な必要性については疑問の声がありました。しかしスペインでのWorld Air Games2001の実績から検査の必要性が認識され、200310月のFAI医事委員会での激烈な討議を経て直後のFAI総会にてWADAコードの適用が採択されました。この経緯のようにWADAコードの適用の背景には額の大きなオリンピック関連の資金をめぐる情勢があり純粋にスポーツ医学だけの問題ではないことにご注目願います。

3. 国内の体制は

 WADAは世界でのコントロール機関ですが、運営は各国組織に委ねられています。新聞のスポーツ欄で最近は米国のアンチ・ドーピング組織USADAの名前を陸上競技での裁定に関連して見るようになりました。日本でもJADA(財団法人日本アンチ・ドーピング機構www.anti-doping.or.jp)が設立されています。実際の検査の運用はIOC時代と同じく各競技団体の支出によりますので航空団体は自己資金での出費となります。小さな団体はサッカーくじ(ロト)を源泉とする文部科学省系統の補助金を得るのが通例だそうですが、この補助は継続しては受けられないそうですので何らか自己資金の確保が必要です。日本の航空団体は各個にて資金を確保するか、例えば航空協会が一括してドーピング検査の統括をするかの体制作りを迫られています。WADAコードでは競技統括団体(国際組織または国内組織)、大会主催者、各国のアンチ・ドーピング組織、各国政府などのいずれもドーピング検査を実施できることになっていますが(そのために実施主体の曖昧さの問題もあります)、航空競技の国際競技統括団体であるFAIは自己資金でドーピング検査を負担する余裕はありません。最初に行われる尿検査の費用は一競技者一回あたり200から400ドル程度と安くはありません。さらに検査対象の人数が1,2名であっても検査員を中に抱えていない団体では派遣出張費用なども請求されてしまいます。JADAは検査員の派遣を将来は行いたいとの意向だそうですが、現在実施するためには他の競技団体から派遣してもらう必要があります。

4. 適用になる競技は?

 WADAコード上ではどの種目の扱いも平等です。模型競技の参加者も対象です。しかし実際に読者の方の団体に関係ある話なのかが気になるところでしょう。おおざっぱに言うとオリンピック種目を目指しているパラシュートとパラグライダーがFAIの主要な管理対象であるというのが現在の情勢です。2001年の秋田での「World Games」(World Air Gamesとは別です)ではパラシュート競技でもドーピング検査が実施されたそうです。この例では主催者が行ったとか。FAIは二種目以外まで実際の尿検査を行ったりする余裕がない、というのが本音ということでもあります。パラシュートとパラグライダーでは日本人選手で優秀な成績の方がおられますので、世界選手権で3位以内に入る成績を上げた後はTest Poolの一員となる可能性があります。WADAコードでは大会での検査もありますが、大会外の、つまり日常生活中にドーピング検査をすることが謳われています。そのためTest Poolにリストされた選手はその居所を常に統括団体に連絡しておかなくてはなりません。これはプライバシーの侵害であるという論議がありましたが最終的に採択されています。FAIのドーピング検査についての文書は「FAI anti-doping rules and procedures 」です。http://www.fai.org/documents/AntiDopingRules.pdf

 大会外の検査はFAIには負担ですので居所通知についても長期の訓練キャンプ地に移動する際の報告でよしとしよう、という方向にあります。基本的にWADAコードはFAIが望んで作成したものではなく、IOC関係の団体に揃える必要から規制がかかっているものですから。また、航空では安全のための身体検査制度のある種目もあり、シドニーオリンピック前に100件単位で検査が行われた競泳、バレーボール、トライアスロン、重量挙げなどとは事情が違うのは確かです。

 ここまででパラシュートとパラグライダー団体以外の方はほっとしたかもしれません。航空協会もドーピング検査の実施権限があるはずですが実施の予定はありません。しかしFAIスポーティングコードは全航空競技に共通のものですから、特に国際大会の主催をする場合にはブレテンの内容に配慮することは求められます。具体的にはFAIに結果を報告する全日本選手権以上のレベルの大会では次のような記述をブレテンに付すことが望ましいでしょう。上述のように以前からIOC方式のドーピング検査はスポーティングコードに取り入れられた経緯がありますので変更についての注意喚起となります。

 

「スポーティングコードの2004年改定により、ドーピング検査はWADA方式に変わったことに留意されたい。」

 

5. 治療のための薬は飲めるの?

 禁止薬物のリストはWADAJADAのホームページに掲載されています。FAIでは独自に高空での酸素使用を認可する他、ベータ遮断剤も禁止薬物とし、アルコールの血液濃度を0.2g/Lとしています。アルコールは禁止薬物です。大会外の検査では検査時刻に配慮があるようですが、大会中の飲酒には十分注意する必要があります。競技者で治療のために薬剤を投与されている方もいます。その場合にドーピング目的の薬物摂取とどのように区別するのかは大問題です。毎回関係者が挙げる例が自転車ロード競技のランス・アームストロング選手です。彼は自伝を書いたことで癌により睾丸の摘除をしたことが広く知られています。この場合には男性ホルモンを外から投与します。しかし男性ホルモンはドーピング目的で使用される薬物の筆頭でもあります。このためにアームストロングがツール・ド・フランスで5連勝できたのは「合法的」に男性ホルモンのドーピングが行えたからだ、という説が流布しています。

 治療のための薬剤投与のためには医療機関が証明するTUE(Therapeutic Use Exemption)の書類を揃えなければなりません。国内での航空スポーツについてはこの手続きはまだ制定中です。JADAが国内大会対応として認めたTUE申請をFAIの医事委員会でレビューする、というのが医事委員会で2004年に議決した内容なのですが、JADAは団体会員制を敷いており、航空協会が質問した際にも航空スポーツにおけるTUEの取り扱いの見解はJADAFAIで食い違いがあります。もし読者がパラシュートまたはパラグライダーの団体の関係者でそのトップ選手が治療を受けているならば速やかにTUEを申請されることをお勧めします。実際の申請により手続き方法が明らかになることを期待するしかありません。航空協会ではドーピングの問題についてFAI医事委員会を通じて良く把握していますが日本では新しい問題であるため素早く対応が取れない面があります。申請用紙は下記にあります。

  http://www.wada-ama.org/docs/web/standards_harmonization/code/tue/tue_v3_application.pdf

6.これからの動向

 日本政府はまだドーピング規制については法制度に取り入れていません。「コペンハーゲン宣言」には署名しているものの、これは非政府機関の宣言であるため政府は拘束されないのです。他にも同様の立場の国家があるそうで、2004年アテネオリンピックがWADAコード採択の道程であったのに引き続き、2006年のトリノ冬季オリンピックを目処に国連機関であるUNESCOの協定にドーピング規制を取り入れるべく、2005年の10月のUNESCO総会に文案が提出される予定がUNESCO内で決定されています。もちろんこれは政府間協議となりますのでこのような短期間で合意されるかどうかには大きな疑問があります。米国のUNESCO政策がポジティブに変化したといっても、ヨーロッパ原産のWADAコードの行方は定かでありません。禁止薬物リストについては長くなろうとも全てをリストし「類似物質」の表現は削除すべしとの要求が米国からはあったと聞いています。そうすると禁止薬物リストは一年に2回改定を必要とする、厚い電話帳のようになってしまうのですが。米国の陸上選手のドーピング疑惑がUSADAでは決着せず、国際スポーツ裁定機関へ持ち込まれていることからも裁定権について各国の意見が異なることが想像されます。

 UNESCO協定となった場合にはWADAが統括機関ではなくなるはずで、人員に関しても一掃されるのではないかと噂されています。日本政府も協定となった後には法制度化の作業を強いられるはずで、この際に予算が組まれれば現在の西ヨーロッパ各国に似た状況となるでしょう。しかし少なくない経費を要するドーピング検査が日本の体育関係者にどの程度受け入れられるかの予想は困難です。

 また、飛行機の曲技や国により滑空機の競技では競技以前に航空身体検査に通らなければなりませんが、この身体検査とWADAコードの整合性には問題があります(資料下記)。

http://www18.tok2.com/home/soar/med/AsMA04WADA.pdf

特に日本の航空身体検査制度では許される治療薬が少数に特定されているにもかかわらずWADA禁止薬物で許されるものがあること、逆に航空身体検査では禁止されているがWADATUEでは認可される多数の薬物があることから複雑な状況が出現します。例えば、飛行機曲技競技に参加しようとしたパイロットが花粉症の薬を内服することがあるとします。このパイロットが日本登録の機体をドイツに持ち込んで航空局の技能証明で飛行して大会に参加した場合。この場合には花粉症の薬を使っていると航空法上飛行できません。しかし同じパイロットがこの薬のTUEを取っておき(認可される可能性は高い)、ドイツ国内で借りたドイツ登録の飛行機を大会のための技能証明書き換えで飛ばした場合には問題なく大会に参加できる可能性があります(実例ではありませんので可能性)。この問題は日本と各国の航空身体検査の違いまで含むため厄介なケースを生じる恐れがあります。

 幸い治療薬がいらない競技者の方、ハッピーな大会をお楽しみ下さい。不幸にして治療中の方、いろいろややこしい問題はありますが、FAIFAI医事委員会、航空教会は皆さんが飛ぶのを支援するのが基本姿勢ですのであまり悩まずにご相談下さい。

(以上)

Ads by TOK2