甲陽画廊 其の五 ![]()
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最終 2006年03月15日 04:53 更新
★甲陽健児に栄光あれ !
これは甲陽健児
3ちゃんの独断と偏見による 徒然の回想記録
甲陽学院高校史の過去、多くの元気の源はこの大講堂から発信された
甲陽学院の歴史は大正6(1917)年2月、伊賀駒吉郎氏が武庫川の枝川に在した『阪神電車の沿線甲子園と言う処、西岸が今津、東岸が鳴尾、殆どが苺畑であったが、「よし、中学は右岸(今津)に建てよう」 と決断されて、私立甲陽中学』 を創立、初代校長となられる。
処で、「ここにしよう!」 と伊賀先生を魅了させた甲陽中学の用地の当時ぴったりの山紫水明の風景、”一枚の抒情画” が偶然目に飛び込んできた。小躍り興奮したままに、茲に森繁久彌氏の随筆名文による武庫川情景の貴重な一抄を無断引用紹介させて頂きたい。「小説新潮」 2000年4月号 特別寄稿
=86歳の私は回想する=”遠き日の甲子園” 冒頭部分
武庫川という、幅100メ−トルもあったろうか、
その大河の支流として枝川が流れていた。
私の通う幼稚園は、その川沿いの鬱蒼と繁る松林の中にあった。
もっともそれは、武庫川を護るための防風林でもあったのだろう。
この川を上り詰めたところに、宝塚歌劇で有名な遊園地があった。
枝川の対岸に面して甲陽中学があり、その側には美しい河原が続いていた。
夏になると、甲陽中学は、都会の小中学生の為の、いわゆる林間学校となり、
大阪、神戸などから大勢の少年達が集まってきた。
大阪の名門、汎愛小学校に通っていた兄も、夏合宿に参加していた。
遊びといえば戦争ごっこばかりが盛んで、我ら幼年組も竹槍をかざして、
こっぴどく殴られた記憶がある。
子供の頃だからよくは覚えていないが、枝川にはヤマメやアユもいた筈である。
私が住んでいた西畑というところは、洒落た家が多く一種の文化村で、
ここに佐藤紅緑先生が三階建ての豪邸を建てられたが、
周囲はまだ鳴尾村といってお百姓の天下であった。
イチゴが名産で、タイショウとかハイカラとかトックリなどと名付けられていた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (以上)
◆ 「甲陽12訓 その第一と二」
一.青年期は人生無二の修養期なり
少年老い易く学なり難し一寸の光陰軽んず可からず
未だ覚めず池塘春草の夢階前の梧葉巳に秋声あり二.行為を蒔けば習慣を刈取り習慣を蒔けば
品性を刈取り品性を蒔けば運命を刈取る創立者 伊賀駒吉郎先生(明治2年10月21日生・高松市出身
哲学館卒=東洋大学・昭和21年3月3日逝去・享年79歳)
◆ 松の音、枝川の流れ、永えに不断の楽を奏で、
茅渟の浦ゆそよ吹く風の気も澄みて紅塵遠くあとを絶つなり
(第三代校長藪重臣先生手記)
然し第一次世界大戦不況の余波を受け経営困窮した大正9年4月(1920)辰馬本家酒造株式会社第十三代当主辰馬吉左衛門翁の支援によって茲に 「財団法人辰馬学院甲陽中学校」 の開校に至る呱々の声をあげた。
(創立40周年記念 回顧録より)
◆ 故人曰く一年の計は殻を植うるにあり、十年の計は樹を植うるにあり、百年の計は人を植うるにありと天下の英才を教育して各其の天稟を発揮せしめ、光彩陸離百花爛漫の偉観を現出するは啻に国家百年の大計たるのみならず、人生の快事之れより大なるは無かる可し
(辰馬吉左衛門氏中学校設立趣旨書冒頭部分抜粋:
明治元年5月5日〜昭和18年10月10日逝去享年76歳)
「創立記念日」 の起源を伊賀駒吉郎氏設立の甲陽中学から辰馬学院甲陽中学校迄の3年間を含めたことに意義がある。
ついでの話:
甲子園都ホテルは、辰馬酒造本家が近鉄・都ホテルチェーンに加盟し、平成4年に開業。以来10年間が過ぎ、近鉄との契約満了を機に「都」から 「ノボテル」 に切り替えた。日本の伝統的なホテルブランドから一躍世界ブランドのホテルに生まれ変わった。
創業三百四十周年2002年の9月開業した 「ノボテル」 は日本第一号店。阪神電鉄・甲子園駅前にある甲子園都ホテルが、都ホテルグループからはずれ、新たにアコー(Accor)ホテルグループ (の一つNovotel) とフランチャイズ契約を締結。「ノボテル甲子園」 としてリブランドデビューしたもの。
参考:
1662年(寛文2)初代吉左衛門氏が清酒の醸造を始めて以来(南辰馬)、
辰馬吉男氏(第十四代当主)1989年(平成1)逝去、辰馬章夫氏(十五代当主)、現在に至る。
尚、白鷹株式会社は文久2年(1862)初代辰馬悦蔵氏が、南・辰馬本家(白鹿醸造元)より分家して、
新たに酒造業をおこし、酒蔵が本家の北方に在ったので北辰馬(白鷹)と呼ばれるようになった。【甲陽健児・恩師その交叉点澪の人々 】
平成16年9月現在:順不同
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3ちゃんの掲示板 『エンマ帖』
考証・引用・参考出典 『甲陽学院創立70周年記念誌』 『学院誌 資料編第一輯』
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