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(R/Cとの出会い)

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ラジコン飛行機との出会いは、今から24年前にさかのぼる。以前の会社に勤めていたころ、同じ部の同僚
から「多摩川でラジコン飛行機が飛んでいるから見に行こう」 と誘われたのがそのキッカケだった。模型好
きだった僕の心に、新たな好奇心が沸々と湧き上がってきたのです。早速日曜日の朝、同僚と待ち合わせ
多摩川の等々力にあるその場所に赴くと、明らかに僕たちより年上の方々 4〜5人ほどが集まりラジコン
飛行機を楽しんでいるではありませんか、話かけるのも気恥ずかしく、二人してその”光輝く光景”に見ふけ
っていました。 ラジコンとの出会いと前後して本田技研熊本工場へ出張の話が舞い込んできた。それまで
飛行機に乗った事の無かった僕には、仕事の事より飛行機に乗れる事の方がはるかに重要な出来事でし
た(笑) 機材はB−747、離陸滑走の加速にカルチャーショックを覚えながら快適な空の旅を満喫する僕。
東京に戻るとエアーライン関連の雑誌を買いこみ、空のシステムなどを勉強し、エアーバンドラジオでパイ
ロット気分を存分に味わったものです。 で タイミング良くラジコン飛行機・・嵌りました。
最初に手がけたキットは、吉岡サンデー、木工ボンドで組み立て、エクセルコート白一色のみでカバーリング
翼のねじれも解らずエイヤーの単独無謀飛行、結果は解りますよね(笑) 今でもその場の光景は良く覚え
ています、そこから僕のラジコンライフがスタートした訳です。  (続)

 

その後、その同僚とラジコン飛行機を探しに埋立地(お台場)あたりを徘
徊していると、13号埋め立て地に、お目当ての場所を発見しました。東京
湾に面したコンテナ埠頭でラジコン機をみつけたのです。 車を止め遠目
で見学していると、一人の方がこちらに来て 「こっち車持ってきて、一緒
にやろう」と話かけてくれました。 おもむろに白一色のサンデーを車から
取り出す僕、その機体を見るなり、「翼がねじれてるぞ」無言でトリムタブを
右翼に取り付け 「エンジン掛けて」の一言、手がけでOS MAX20に火を
入れました、そしていとも簡単にサンデーを飛行させたのでした。ラジコン
師匠を見つけた瞬間です、その方の名前は今でも覚えています、茂木さん
と 増渕さん、ここのフライヤーの方々はベテランの様で、なんとも美しい
スタント機を所有しています、吉岡サイテーション、デジコン電子オメガ、MKマットアロー などなど、それらの
スタント機は、なんと脚までも収納されるでは有りませんか、もう目が点状態でした。離陸直後の引き込み
脚に、何とも言い様の無い感動を覚えました。一通りの水平飛行と旋回を覚え、この飛行場に毎週通い師匠
にみっちり指導を受けました。肩翼のEZスーパーボックスフライ、そして低翼のテトラのサーカスへとステップ
アップ、夢中で飛行機を飛ばしました。そして、なんとか単独飛行にまでこぎ着ける事が出来たのです。(続)

 

ある程度一人で飛ばせる様になると、もっとカッコイイ飛行機が欲しくなるものです。そこで25クラスのスタ
ント機 テトラ チャレンジャー25をバルサキットから作り上げました。チューンド内装、三車輪引き込みの
本格スタント機です、惚れ惚れするカッコ良さでした。この飛行機で キューバンエイト、インメルマンターン
ストールターン など基本の操縦を覚えました。多少の自身が身に付いたころ、自宅から近い多摩川に戻り
等々力のクラブの仲間に入れて貰いました。その後はこの場所で、ラジコンを通じいろいろな人との出会
いが有りました、印刷業、電気屋さん、富士通、JALパイロット、歯医者さん、それから 飲食店社長の石川
さん、いろいろな人たちとの出会いがあったのです、趣味を通してこの場所で人脈も作る事が出来、自分に
とってはとても有意義な事でした。しかしここは多摩川河川敷、ラジコンの騒音を嫌う人もいる訳です、クレ
ームがつき、いきなりラジコン禁止の看板が!!!
飛行が難しくなってしまいました。しかし飛行機を止めるわけにはいきません、その等々力から少し下流の
ガス橋で、ラジコンを楽しむグループがありました。恥ずかしいなんて言っていられません、徐々に仲良く
させて貰い次第にここが、僕のラジコンフィールドになって行ったのです。幸いにして行きつけのラジコン
ショップ プレイホビーの常連さん達が多数いたこともあり、すぐに打ち解け、ラジコンを楽む事が出来まし
た。ここでもいろいろな方との出会いが有りました、80歳近い年配の方、ダンスの先生、自営の方などなど
情報交換をしながら楽しんだものです、ラジコンを通して友達作りの格好の場所だった訳でも有るのです、
そのころになると、機体の方も徐々にサイズアップして行き、YS45を回すようにまで、なって行ったのです。
 (続)

 

このガス橋飛行場に通っていると、ほかの新人さんもの顔もちらほら
見かける様になります。その中でめきめきと腕を上げていく若者がい
ました。何時のまにか、テトラのベアキャットでナイフエッジ、4ポイント
ロール、スローロールなどなど、高度な技を習得していくじゃありませ
んか!!「しかし素質のある人間もいるもんだ」 などと感心していま
した。やがてこの若者とも友達になり、ここで一緒に飛ばす様になっ
たのです、そして毎週火曜日には隣接するゴルフ場の休業日にあわ
せてここのフェアウェーを開放して頂き、R/Cを満喫しました、営業職
の僕は、火曜日は得意先への直行が多くなりました(笑)、そうです午
前中飛ばして、午後からその足で得意先に向かうのです、凄いと言う
かバカと言うか、あの頃は凄い熱意でした、つりバカ日誌の浜ちゃんみたいですね(笑い
おっと 話をもとに戻します、その腕の良い若者こそが、小野Yooちゃんだったのです。この頃今では絶対
作れない、いや作らないであろうキットを何機も手がけました、そしてYooちゃんに飛ばしてもらい感想を
聞いてみると、必ず「良いよ 飛ばしやすいよ」ぼそっ  と答えるのです、この男にかかると難しい飛行機
など無さそうです、そしてその後 時代は、待ちに待ったトルクロール時代へと移っていったのです。(続)

 

まだまだトルクロールなど、聞いた事も見たことも無いフライヤーが多い中、
ここガス橋のフライヤーは異色でした。すでにトルクロール、コブラなどの
難度の高いアクロ技を、熱心に練習していました。飛行機が何機も滑走路
上でおったっているのですから何とも異様な光景でした、Yooちゃんがトル
クロールを完成させ、超低空を風に流されながら、何回転も回している機体
をみていると、これはもう飛行機の概念から逸脱した一つの物体にしか見
えませんでした。その後プレイホビーの仲介で、R/Cエアーワールドの取材
が入り 一躍、時のフライヤーになっていったのです、ラジコン仲間として誇
らしい事でした、他クラブからのお誘いもあり、デモフライトを兼ねた飛行場
訪問をしていたのもこの頃です。
昨今の飛行場難は、たびたび耳にしますが、ここガス橋飛行場も例外では
有りませんでした。住民からのクレームに端を発しラジコン禁止の看板が
立ってしまったのです。その頃R/C仲間の常光さんとWeb上で交流のあった
埼玉は岩槻にある見沼ウィングRCクラブの、くっしー(現しらこばと会長、
久島氏)に話を通して頂き、このクラブの仲間にして貰ったのです、そして
YooちゃんIWAちゃんヒロポン、僕と4人で、まてぃがす軍団なるものを
結成して、おおいに遊び回っていました。Web上でもその他いろいろな人との交流も出来ました、横田のユ
ルギスさん(野口氏)もその一人で、R/C Hobbyの飲み会などにも参加してくれました、そしてそのあとの
一風変わった(笑)体験へとつながって行ったのです。  (続)

 

見沼ウィングR/Cクラブのクラブ員になった僕達は、コンディションの
良い休日になると岩槻の飛行場まで出かけて行きました。クラブ員の
方々とも仲良くなり、クラブの一員として、とても楽しい時期を過ごし
ました、特に、くっしー(久島氏)とは馬が合い、プライベートでも付き
合ようにまでになっていったのです。一方Web上では、相変わらず、
ユルギスさんとも交流を続けて、掲示板などで勝手に盛り上がってい
ました。ユルギスさんは奥さんがフィリピンの方であちらへ帰るたびに
R/Cを楽しんでいる様子でした、ラグ−ナの青空にラジコン機が飛ん
でいる写真などをみせてもらうと、なぜか、羨ましいなぁ〜と思ってし
まうのです、そしてある日、ユルギスさんがこんな事を言いだすじゃありませんか!「Takaちゃん、11月ピリ
ピンでラジコン大会が有るから一緒に行かない?」 こっ このおっさん俺の心読んでるじゃん!見えんの
かな?で 「行きます 行きます」の二つ返事(笑う) 早速二人してフィリピンに向かうのでした。現地に到
着すると今回一緒に大会に参加するというHそうな顔した日本人が6、7人(爆)、ホテルのロビーに集結して
います、そこでまたびっくり!! この日本人の中から知ってる顔を見つけたのです、そうです まっちゃん
(松井氏)がいたのです、まっちゃんとはプレイホビーで何度か顔を合わせた事が有ったのです、こんな偶
然があるんだねぇ、その他の方も新横浜でラジコンを楽しんでいる くまぞーさん(石村氏)、しまちゃん(嶋野
氏)などなどです、誰が話して決めた訳でもないのに!!類は類を呼ぶと言うか何と言うか(汗) ここピリピ
ンでもいろいろな人達との交流が出来たのです。ここから始まったPhilippines R/C trip 僕にとっては、とても
貴重で楽しい体験をする事になったのでした。 (続)

 

現地マニラで、我々をサポートしてくれる松田さん、パサイでコンピュタ−関連の会社を経営しているラジコ
ンマニアの方です。その夜ホテルのサウナで その松田さんが「ラジマンとここで逢うとはなぁ」なんて言うで
は有りませんか?どうやら僕のHPを見ていてくれた様子です、気を良くした僕もこの方にとても親近感を覚
えました。そして翌朝、松田さんの手配する車で飛行場へ・・・・その飛行場はマニラから約100kほど南の
バタンガスサントールと言う所のにある実機の滑走路です、この広−い滑走路に感動する事しきり、皆大型
ガソリン機を思う存分飛ばしています、僕はというとファンフライを飛ばしながら、フィリピンのビール、サンミ 
ゲルビールをがぶ飲み(笑)気分は最高です。おっと紹介が遅れました
ここは、マニーバラダスさんという実機を数十機所有する実業家の方の
飛行場で、以前フタバの土橋さんも一度訪れた事が有るとか。
昼間はラジコン飛ばしたり、近所の子供と遊びながら一日をのんびり過
ごす、とても有意義なひと時です、実機の飛行場故 まじかで実機とラジ
コン機が!ハロハロ状態(まぜこぜ状態)こんな体験も初めてでした、
そして夜の部は、美味い物を食べながら皆さんと宴会、異国でのラジコ
ンライフを存分に楽しみました。誰がセッティングした訳でもなく、ユルギ
ス野口さんとここに来ただけで、また新しい数々の出会いが有り、とても
有意義なR/C tripになった訳です。そしてその後、僕は幾度となくここ
フィリピンを訪れる事になるのです。 (続)

 

フィリピン飛行会がきっかけで、新横浜R/Cクラブのメンバーの皆さ
んとも仲良くさせて貰い、たびたび飛行場にもお邪魔させてもらいま
した。マニラで一緒だった石村さん、松井さんの友達のリチャーとも
知り合う事が出来ました。このリチャーとは米空軍のメカニックで、
とにかくデカイ アメリカンです、彼の勤務先の敷地内にはR/C飛行
場が有り、そこにも何度となく足を運び、なんとF-18のパイロット達
もラジコンを楽しむことが出来たのです。面白い事に石村さん リチ
ャーは100ccガソリン機をガンガン飛ばしているのに、世界の秩序
を守るパイロット達は、小さい練習機を飛ばしていたのです、どうや
ら着陸が苦手で、ラジコン機の方が難しいとの事です、このパイロッ
ト達、今日参加のYooちゃんのフライトを見て、そりゃも−ビックリして
ました。そりゃそうです、日本のトップガンのフライトですから!ちょうどプロフィールプライマスのテストフライ
トを兼ねて、Yooちゃんも飛行場に来てくれたのです、日本のR/Cスローアクロの世界をたっぷりと見て貰い
ちゃっかりF−18に乗せて貰う魂胆です(笑い)
時を同じくして我がクラブ、見沼ウィングR/Cクラブにとんでもない出来事が起こりました。ある休日の朝 飛
行場に到着すると、滑走路中央に白い立て看板が立っているじゃ有りませんか、「またラジコン禁止かな」?
と思いながら恐る恐るその看板を見てみると・・・・なんじゃこりゃ??? 到底理解しがたい事が書いてある
では有りませんか!! 日頃冷静な僕もこの時ばかりは冷静さを失ってしまったのです。   (続)

 

そのたて看板を、おそるおそる見てみると なにやら長々と文章が書いてあるのです、詳しくは覚えてない
ですが、こんな事が書いてあったと思う。 ”この飛行場は〇〇〇屋専用飛行場に付き、クラブ員以外の者
はラジコン飛行機 ヘリの飛行を禁止する” これはどういう事だ!! 何がなんだか解らない、早速ここに
書いてある模型店にコンタクトを取りました。なにやら営利目的で〇〇塾とやらをやっている有名な模型店
では有りませんか、まさかこれは何かの間違えに決まっています、兎に角話を聞かなければなりません、早
速 両クラブ代表者同士、飛行場で話し合いがもたれました。看板を立てた経緯はこうです、〇〇〇屋〇〇
塾の飛行場が何かの理由で飛行禁止になり、営利目的の〇〇塾が出来なくなった、そこで新設飛行場を探
す事になった、しかし当然のことながら適当な場所が無い、そこで白羽の矢が、我々見沼ウィングR/Cクラブ
に立ったのです、飛行コースの空域下の土地を裏から手を回し地
主から借り上げてしまったのです、空域下の土地と知りながらです
日本の大切な文化の一つに道徳 正義 という物が有ります、この
人達は、道徳心などひとかけらも持ち合わせていないのでしょう、
自分達の商売また利益のためなら、長く続ているラジコンクラブが
そこに有ろうと無かろうと、そんな物一切関係無いのです、もうその
時ばかりは冷静な僕も、完全に切れてしまいました。
皆で大切に整備して来た飛行場が一夜にしてモラルも何も無い輩に
占領されてしまったのですから。
その後、幾度となく話し合いがもたれましたが、いつまで話しても
平行線のまま、あきれて開いた口が塞がりませんでした。こんな輩
に何を言っても無駄だと判断した僕達は、それ相応の賠償と引き
換えに、やむなくこの飛行場を後にする事にしたのです、こんな不条理な話が有って良いのでしょうか?
しかし我々は〇〇〇屋とはまったく根性が違います、そうです ど根性です!その後間もなく、くっしー(久島
氏)から、とてつもなくビッグで嬉しいニュースが舞い込んで来るのです。(続)

 

その、乗っ取り屋のおかげで飛行場を失った僕達は、また新しい
飛行場を開発するしか有りませんでした。何人かの仲間は他のク
ラブへ移籍して行ったのです、しかし新たに飛行場を作るったって、
そんなうまい話がある筈が無いのです、飛行場難のこのご時世に
そんな土地が有るわけが無いのです、困り果てていたある時に、くっ
しーから一本の電話が・・・・・興奮した声で  ラジマン!!見つけ
たぞ!!すっげー広い土地!! 燈台下暗しよ、家のすぐ近くの農
地の中に葦だらけの土地が有るんだよ!! ここなら飛行場作れる
ぞ!!・・・・とんでも無いビッグニュースがくっしー(現しらこばと会長
)からもたらされたのでした。年のわりにフットワークが良いこの男、
即効で登記所へ赴き登記簿でその所有者を調べたのです。手付か
ずのその広大な土地は、バブル時代所有していた会社が、バブル崩壊後倒産してしまい、その後今もって
中に浮いたままの土地らしいのです、登記簿に所有者が記載されていない土地であるという事ことが分か
りました。しかし勝手に使う事は出来ません、周りの農家の方々の家一軒一軒挨拶に行き事情を話し、葦
などを綺麗に刈る事を条件に承諾をして貰ったのです、これも全て、くっしーの努力によるものでした、この
ときほど、この男が超ハンサムに見えたことはいまだかつて無かったのです(笑)
さあ、新しい飛行場の開設に向けてクラブ員全員張り切っています。まずはこの伸びきった葦を根こそぎカ
ッターで切り取り少しずつ飛行場らしい形にしていきました、ラジコン仲間のしゅんちゃんぶたたんもはるば
る浜松、静岡から応援にかけつけてくれ新飛行場整備に力を貸してくれたのです、初夏に差しかかる5月25
”しらこばとR/Cクラブ”は産声を上げたのでした。   (続)

 

簡単に飛行場を作ると言ったって、並大抵の努力と忍耐じゃ無
いわけで、伸びきった葦をカッターで切り刻み、見た目その時は
綺麗になるのだが、翌週には何事も無かったかのように元気に
10cm単位で奴は成長してくるのです。聞いた話によると、この
葦とは地下で根っこが生きている以上どんどん成長して、その根
っこがとても生命力が強いとの事、ただ葦を刈っているだけでは
だめなのです、そこでクラブ費から除草剤を購入しあまり使いた
くは無かったのですが、何週間かに分けてそれを散布して見るこ
とにしました。その甲斐あってか出てくる本数は明らかに減りまし
たが、それでもまだしつこく残党葦が顔を出してくるのです、もう
根気比べみたいなもんですな、やがて季節は秋へと向い葦との
格闘もひと段落? と思いきや、今度は砂埃との戦い
が始まったのです。除草剤を散布した影響も有ったのかもしれませんが、土の色が黒くなり、それに加え、
土自体がサラサラになってしまったのです。少し風が吹くと砂埃が舞い、駐機中の飛行機が真っ黒になっ
てしまうのです、エンジンのオイルと、この黒い砂埃が機体にミックスしてくっ付くと、その後の掃除が大変
でした。風の有る日は、車から飛行機を出す事すらためらってしまう事がたびたびありました。そんな中で
も、滑走路の拡大は順調に進められていきました。当初開設時はファンフライ、30クラスを離着陸させるの
がやっとだった滑走路が、やがて90クラスのスタント機が離着陸可能なほどの広さに拡大されて行ったので
す。そして季節も春を迎え、葦君も息を吹き返す頃、しかし滑走路には葦よりも緑色した雑草が多く目だっ
て生えてきたのです、その雑草をカッターで綺麗に刈って遠目で見てみると、なんだかいっぱしの飛行場に
見えてきたでは有りませんか、ゴルフ場のフェアウェイまでは行かないものの、青々したフィールドに変身し
て行ったのです, ここまで来れば、後はもう少し滑走路を延ばし、手入れを続けながら管理して行くだけです
今までのクラブ員の努力で、やっと飛行場と呼べる飛行場になって行ったのです。なんたってクラブ員どう
しで、しらこばと草刈クラブだなんて言ってたぐらいですから(笑い) それほどまでに、しぶとくしぶとく、草
刈りをしながら作ってきた滑走路なのです、何も無い葦だらけのだだっ広い土地に、こんなに素晴らしい
滑走路を作りあげたのですから!!!

そうそう 忘れちゃいけません!! この飛行場を新設してから約3年、その間にまたまたいろいろな人間
との、大切な出会いが有ったのですよ。  (続)

 

ホームページのアップネタもマンネリしてきて、年頭にあたり 「何か思いつく事でも書いてみようかな」ぐら
いの気持ちで書き初めた文章が、何やら回顧録みたいになってしまった。(笑う) 柄にも無くって感じですよ
ね! 24年前にはじめたラジコンですが、こう振り返ってみると、いろいろな出来事、人との出会い、その他
文章にしなかった様々な出来事が沢山有りました。まあ楽しい思い出の数々といった所でしょうか、この
趣味の世界も、いろいろな人と人との繋がりの上に成り立っている訳で、気の合った仲間達と同じ趣味を
楽しむという事がもっとも大切な事柄で、一人でやったって、まったくつまらない物になってしまうのです。そ
こで気の合った仲間達が必要になって来る訳です。幸いにして僕の関わる人たちは、押し並べて 気の良
い人たちばかりでしたので、その点ではラッキーだったのでしょう。 しらこばとR/Cクラブに話をもどしまし
ょう、このしらこばとR/Cクラブには個性豊かな仲間たちが、ずらりと顔をそろえています、くっしー(会長)
を筆頭に、Yooちゃん ヒロポン IWAちゃん カジ まっちゃん などなど、どこのクラブに出しても恥ずか
しくない??(汗)面々です、飛行場に飛ばしに行くと、飛行機を飛ばしながらのラジコン話やその他バカ話
やエロ話にと(笑)、ネタが尽きる事がありません、要するに僕のラジコン
ライフは、友達があってこその、趣味の世界なのです。
しらこばとRANWAYの整備途中にも何人かの仲間達がクラブに入会して
きてくれました。その筆頭と言えば何と言っても ささやんでしょう(佐々
木氏) まーこのオヤジ殿 とてもユニークなキャラ持ちで我々のスタンス
と共通すること100%(笑い) 無くてはならない存在になったのです、当
然ラジコン大好き 仲間大好きのささやん、BBQを開催すると”ハッスル
ハッスル”朝早くから食材を市場で調達してきてくれるのです。まあこの
顔みれば、この人のお人柄がわかるってもんです、皆すぐに友達になっ
たのです。で、開催するBBQはと言うと、それはもう超豪華、うなぎの蒲
焼までがBBQメニューに出てくるのです、クラブ員最高!!滑走路最高
!! 全員が打ち解けて楽しいR/Cライフを送っていたのです。
その後に襲ってくる試練をも知らずに。。      (続) 

 

いやいや皆さん申し訳ない、(続)と書きましたがここの所更新していませんでした(大汗)、前回の話から大分
時間がたってしまいました。その後を簡単に説明すると、しらこばとR/C飛行場の整備も順調に進む中、この
土地が、ある大手ゼネコン会社の所有地だという事が判明したのです、ちょと黒い部分有りの土地だったの
です。 飛行場を開設するにあたり、登記所でこの土地の所有者を調べた所、詳細が情報非公開だった為、
正式な交渉が出来ませんでしたが、少なくとも、近隣農家一軒一軒に挨拶をして承諾を取り、飛行場を開設
したのです。 ところが、突然にこの広大な土地を管理する組合の方が現れ、ある理由からラジコン禁止命令
を我々に言い渡したのです。まあ所有者から使用禁止のお達しでは仕方がないです、裏から手を回し、出来
る限りの工作をしましたが、無駄でした。
また振り出しに戻ってしまいました(涙)  もうこんな条件の良い飛行場を確保するのは難しいでしょう。しかし
ここまで仲間と苦労して育ててきた、しらこばと
R/Cクラブを解散させる訳には行きません。現状では電動でも
構わないから、飛行エリアを探して、クラブを存続させるしか手は有りませんでした。やはりそんな時、頼りに
なるのはこの男でした、会長のくっしー(久島氏)です、衛星写真や地図などを頼りに飛行エリアを見つけてき
たのです。電動機で有れば、十分飛行可能です。とは言っても許可を得た土地では有りません、河川工事など
が入れば即撤退になるのです、そのための予備飛行場を、皆で情報を持ち合いながら、数箇所確保しました
当然そのような場所には先陣者達がいる訳ですが、しらこばとメンバーのキャラで、こちらのペースに持ち込
み、先陣者の方達の中には、しらこばとメンバーに加わる人もいるくらいです(爆)

クラブ自体は、皆の努力で何とか存続出来た訳ですが、やはりエン
ジン機も飛ばしたいと思うメンバーが殆んどです。しかしこれだけの
大所帯を、いっきに受け入れてくれるクラブは皆無です、幸い、各自
他のラジコン友達などを頼りに、エンジン機が出来るクラブに入会
出来た様です。 取りあえずはエンジン機でのクラブは、今の所、
幾つかに分散してしまいましたが、こんなに楽しく、気の置けない
仲間達がいる限り、我々のR/Cクラブ 

 しらこばと は永遠に存続し続けるのです!! (続)

                 






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